18/02/25 介護の現場が「聖なる場所」になるために | 山下良道師法話まとめ

18/02/25 介護の現場が「聖なる場所」になるために

18/02/25 介護の現場が「聖なる場所」になるために

http://www.onedhamma.com/?p=6518

池埜先生、有光先生との大変貴重なお話を聞かせていただきました。

先生方のおっしゃるように、この話は、医療と福祉の現場にとって革命を起こすものであり、大きく変わるきっかけとなるお話です。このような素晴らしいお話が聴けて深く感動しています。
日本マインドフルネス学会の定義によると、マインドフルネスとは「今この瞬間の体験に意識を向け、評価をせず、とらわれのない状態でただ観ること」となっている。「評価せず、とらわれない」というのは仏教用語の「ウペッカ」にあたり、漢字では「捨」となり、日本語では「平静さ」となる。つまりマインドフルネスの肝は「ウペッカ」になる。

では、評価せずとらわれずに観ることができるのか?
世の中にはがんばれば出来ることも多いが、空を飛ぶことが無理なように、いくらがんばっても、原理的に無理なことがある。
ではマインドフルネスを、我々ははたして出来るのかどうか?
この答えはイエスでもありノーでもある。

ノーというのは、ある条件(第四図)のもとでやろうと思ったら無理で、イエスというのは全く違う次元(第五図)でやったならば出来るという意味である。

第四図のなかでは、私たちは、どこをどうがんばっても評価や好き嫌いから逃れることはできない。第四図の中の私の存在そのものが好き嫌いであり、評価であり、とらわれなのである。だから原理的にマインドフルにはなれない。
私たちは全く違う次元を同時に生きている。人間が二重構造になっているということ、これがマインドフルネスの肝であり、マインドフルネスの奇跡である。

マインドフルネスが医療介護の現場で単に働いている人の心を静めたり穏やかにするだけではなく、私たち人間の二重構造がわかり、ただ単に歳をとって死んでいく存在ではないということがわかる凄いものなのである。

(質問)第五図へのジャンプへ必要なことは?

(答え)
私たちは第四図であると同時に第五図の存在でもあると実感できるのがマインドフルネスである。マインドフルネスは第五図へのジャンプを要求している。まずは失敗して、とらわれなく好き嫌いなしに生きて行くことができない私をまず発見することが大事である。とらわれや好き嫌いによって苦しみを生んでいるのだから、それから解放されたらどれだけ幸せかということが分かる。
ワンダルマメソッドによって、体に戻って体の感覚を取り戻し、不幸な映画の中から出て、実は映画館の椅子に座っているだけということを思い出す。
長年、その映画をリアルだと思い込み、その映画に対して体で反応していたので、身体が歪んだり固まったりしている。その結び目をほぐしていく作業がヨーガのアーサナである。

(質問)
病気の重症の方のマインドフルネスは?

(答え)
生死の問題は小手先ではうまくいかない。私たちは実は第五図の存在なんだと実感するしかない。そこを実感できれば介護の現場が聖なる場所になる。第四図のなかの存在が崩壊している過程だからこそ、人間は第五図の存在だということが見えてくる。病気が重症の方に必要なのは世界観の転換である。

(問い)
福祉の人材を育てるとき「相手に寄り添いなさい、相手と共にありなさい、相手をジャッジしてはいけない、あるがままに受け止めなさい、そういう態度で示しましょう」と学生に教えていく。そのために訓練してスキルを高め、そういう人に国家資格が与えられる。しかし現場では、一生懸命あるがままに受け止めようとするが、うまくいかないのが現状。死に直面する人に対して辛くなり、燃え尽き、自分には向いていない、こんなしんどい仕事はしたくないと辞めていく。今は第五図という次元の違う存在に入る方法をほとんどの方が知らない。第五図を実感して医療福祉の現場が聖なる場所になる展望をお聞かせ下さい。

(答え)
我々は「寄り添わない」。ゴジラは映画の中の存在であり、実際には実在しない。「ゴジラは怖いよ」という人に「ゴジラは怖いよね」と言うことで、その人はゴジラが本当に存在していると信じてしまう。寄り添わないというのは突き放すのではない。「怖がる気持ちはわかる、でもゴジラは本当にいるのだろうか?体を感じてみよう。ゴジラはこの自分が座っている部屋にはいない。この映画館の椅子に戻ってこよう」という事を伝える。

われわれは映画の中で苦しんでいる。苦しみからの解放は映画から外に出ることであり、ゴジラがいない空間に戻ってくるということ。

本当に寄り添うのだったら、その悪夢からこの場所(第五図)に戻してあげる。第五図をわかった上で寄り添うのなら、また全然違う寄り添いになる。

(問い)死生観について。

(答え)
愛する人を亡くしたのではなく、あなたの亡くしたのはその人の肉体であって、愛した人は亡くなっていない。
愛する人をなくして打ちのめされた人を本当に救うのは、本当の存在は第五図だったと実感してもらうこと。表面的なグリーフケアではなく、本当のグリーフケアはあなたの愛する人は死んではいないと本気で伝えること。それには人間が二重構造だと実感していなければいけない。

(感想)
私自身も愛する人達を救いたかったけれど、あらゆる方法を試してもどうしても最後まで救うことが出来なかった、という深い絶望を経験してきました。傾聴し、共感的理解を示し、どんなに寄り添ったとしても、相手の問題がまったく解決されないという現象を目の当たりにしてきました。それは映画なんだと、そして私たちの本質は第五図である、という話が伝えられたらどんなに救いになっただろうと思います。

相手の映画の話を延々と聞くことで、ますます相手が映画をリアルだと信じ、映画の中に閉じ込めてしまう。相手を救おうとよかれと思ってしている事が、相手をますます映画の中に入り込ませてしまい、苦しめてしまう。

大切なのは援助者が二重構造を理解していること。第五図の視点から本当の寄り添いをしていき、苦しみや悲しみのない世界、映画の外へと出してあげること。

お話を聴いていて、大変感動したのは、池埜先生も有光先生も、山下先生の「寄り添わない」というお話を、反発することなく、聴いて下さっていた事です。

実際に医療介護の現場で死に向き合い、ご家族やご本人に真剣に寄り添い、なんとか苦しみから救いたいと思いながらも、それが出来ないという限界を感じていたからこそ、山下先生のお話が伝わったのだと思いました。

また、教授として福祉の人材を一生懸命育てながらも、その人達が燃え尽きてしまうという現実の中で、何かが足りない、根本的に何か違うのではないか、と感じていらっしゃったのだと感じました。

鼎談の締めくくりに「今日の話は革命であり、これまでの教育、臨床そのものの捉え方に地殻変動が起こる。凄い時代だと感動している」と教授がおっしゃっていました。まさに、このお話が日本の医療介護の現場を大きく変えていき、医療介護、福祉が聖なる仕事になっていく予感がします。第五図の慈悲、アガペーの医療福祉が実現していくのを感じて、本当にワクワクしています。

http://www.onedhamma.com/?p=6518

| 05:33 | comments(0) | - | pookmark |
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