18/01/21 「二重構造のわたし」という端的な事実 | 山下良道師法話まとめ

18/01/21 「二重構造のわたし」という端的な事実

18/01/21 「二重構造のわたし」という端的な事実

http://www.onedhamma.com/?p=6471

 

宗教の伝統とマインドフルネス、一重構造と二重構造との関係を大変わかりやすく整理して下さいました。

 

私たちは誰もが「第四図の中の一人」にしか過ぎない。だけど同時に「第五図の私」としてもこの世界の外に存在している。第六図はその二重構造である自分をどうやって生きるかという話である。これは端的な事実である。

「1+1=2」というのは、世界中のどんな人にとっても、共通の事実であるように、私とは何か、生きることと死ぬこと、そういうものこそ、1+1=2と全く同じレベルで扱い、すべての人にあてはまらないといけない。一部の人、ある集団に所属する人にしかあてはまらないのならば、それは真理とは言えないのである。

私が二重構造であることは、すべての人にあてはまる真理である。


しかし、このようなケースが存在している。
‘鷭店渋い箸い考え方そのものがない
二重構造を聞いていても実感できない。

,蓮∋実としてはそうなのだけれども、その人は、その事実を知らないために間違った生き方をしてしまう。知らないばかりに無駄な生き方をして、事実に反するから苦しむのである。しかし二重構造であることを分かった途端に、人生のすべてが変わってしまう。生老病死の問題が解決されるのではなく、そもそも存在していないのだと分かる。

△脇鷭店渋い魍鞠阿箸靴討話里辰討い討癲△修譴鮗卒兇任ないから不安になる。この二重構造をどう実感するかの鍵を握るのがマインドフルネス。

 

マインドフルネスは第四図から第五図への転換であり、二重構造そのものである。マインドフルネスは第五図でしか成り立たない。

二重構造という教えがある伝統とない伝統がある。
あったとしても表現の仕方が違い複雑になっている。例えば、「キリストの復活」や、「阿弥陀様に救われている私」、などとという表現で、二重構造が表現される。それぞれの教団によってどう表現するかが違っているだけで、すべての人にとっての事実だと分かれば、他の教団への偏見がなくなる。どっちが正しいか、という話をしていては事実を見落としてしまうのである。

テーダワーダは教えが一重構造であり、「主体が客体を観察している」しかないので、ある意味スッキリしている。良いモノに対する執着、悪いモノに対する怒りというような、反応しなけれ苦しみを生まないから、反応しないようにトレーニングしていく。心と体の反応がゼロの状態を最終目的地とするのである。

 

二重構造の大乗仏教のかたの一部は、マインドフルネスを疑っているひとがいるが、それは、一重構造を疑っているのである。世間の一般的なマインドフルネスが一重構造になっているから、その疑いは仕方ない面もある。

マインドフルネスと二重構造をつなげることにより、マインドフルネスが唯一の鍵である二重構造を理解できる。

‘鷭店渋い龍気┐あるが、それを実感する技法がない大乗仏教。
一重構造の教えで、マインドフルの技法があるテーダワーダ。

このどちらも救うことができるのである。

 

マインドフルネスを初めて実践して、今までに感じたことのないような安らぎを感じたりするビギナーズラックは確かに起こるが、この二重構造が分からない限り、次からはうまくいかなくなってしまうのである。

山下先生があらゆる伝統を偏りのない目で見て、お互いを繋げることにより本質が明らかになり、これはまさに正しく物事を見る「正見」そのものだと感じました。


一つの事実を、それぞれの伝統が、それぞれの表現の仕方で伝えているだけであり、その表現方法の違うからといって争い合うという事がいかに無駄な争いかが分かります。

二重構造の世界観とワンダルマ・メソッドによって、教えだけではなく二重構造を実際に体感する事が出来、人生を根底から変えることが出来ます。

 

二重構造とマインドフルネスを繋げることにより、伝統の宗教とマインドフルネスの混乱をスッキリと整理してくださいました。二重構造が分からない、もしくは一重構造しか知らない、その混乱の中で苦しむ人たちの希望の光になると思います。

素晴らしい法話をお聞かせ下さりありがとうございました

 

http://www.onedhamma.com/?p=6471

| 14:31 | comments(0) | - | pookmark |
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