17/12/17 たとえダークサイドに堕ちても、敗者復活戦があるから | 山下良道師法話まとめ

17/12/17 たとえダークサイドに堕ちても、敗者復活戦があるから

17/12/17 たとえダークサイドに堕ちても、敗者復活戦があるから

 

http://www.onedhamma.com/?p=6442

 

今回は、なぜ第四図の映画に巻き込まれてしまうのか、たとえダークサイドに落ちたとしても敗者復活戦があるという希望に満ちたお話をしてくださいました。インドでリトリートのお話も聞かせていただくことが出来ました。

 

インドの旅行中に出会った「バハイ」という宗教は「神聖なるものが、この世に現れるプロセスの最中に一時的に形をとったものが、現在のそれぞれの宗教であるから、違っていて当たり前」と主張している。たくさんある宗教のうち、どの宗教が正しいかと争い合う意味がない。それぞれの違いは互いを補完しあうものである。

 

これを仏教に当てはめれば、ブッダの教えがどう道元禅師に流れているかだけであり、ブッダから道元禅師のひとつのプロセスの発展と捉えれば何の矛盾もなくさらに深く理解出来る。「道元禅」なるものが、他と離れて独立したものと捉えるよりは。

 

インドでは「第四図・第五図」という表現ではなく、「表面的な次元と深い次元」または「二重構造」という伝え方をしたが、インドではこれがすんなりと通じる。同じ次元の中で浅いとか深いとかいう話ではなく、第五図は違う次元にいるということも理解してもらえた。やはり現在のインドには、ダライラマ法王を初めとする仏教の最高レベルの先生たちがいて、普段からその話を聞いている。そのうえ、インド人の血が、次元が違うというところを直感的に理解出来る。インドの人たちは二重構造に対して宗教的な勘、感覚的な勘が非常に鋭い。

 

「光」の反対は「闇」である。しかし人は最初から闇にいるわけではない。ジェラシーや疑いなどから躓いていって闇に落ちて行ってしまう。

 

第四図は映画の世界、つまりフィクションの世界だから、どのようにでも作ることが出来る。例えばゴジラのような、実際に存在しない生き物まで映画の中でなら作ることが出来るのである。映画の中ではゴジラは非常にリアルだけれども、実際は、映画そのものはフィクションである。

 

なぜダークサイドに落ちてしまうのか?その映画がものすごく魅力的だからである。シンキングマインドはネガティブでダークなエネルギーを持っている存在であり、ダークなエネルギーでダークな映画を作ってその中にズブズブに入っていってしまうのである。でも一回落ちたら終りではなく、敗者復活戦があるのである。

 

闇の世界に入って、その人の映画の中には、Aさんという実際にいる人物が登場するが、そのAさんはその人が勝手にフィクションとして作ったAさんであり、実在の人物とは縁もゆかりもないということである。

 

ゴジラが大暴れする映画で、実際に映画に入ってしまったらゴジラに対する不安や恐怖や恨みが沸き起こる。それを続けていくとダークサイドに落ちてしまい「自分の人生がゴジラにめちゃくちゃにされた」となる。

 

実際私たちの人生でも「親のために、パートナーのために人生をめちゃくちゃにされた」という人は多い。しかしその人の映画の中での「親やパートナー」と、実際の実存する「親やパートナー」は全く違うのである。

 

ではゴジラとどう戦えばいいのか?ゴジラは映画であってもともと存在しなかったと知ること。そしてゴジラに対する恨みは自分が作り上げたものであり、恨みや不安の対象であったゴジラはいないと知り、憎しみを手放す。しかし、体にはそのネガティブなエネルギーがコリや痛みとして残っている。憎しみ続けた結果が体に残っているから、あとは身体のケアをしていく。

 

この世界が一重構造で、この第四図の苦しみに満ちた世界しかない、となると世界が存在している限り逃れられないのだからゼロになればいい、自分や世界の存在を終わらせようという発想になる。この考え方が、どこが決定的に違うかというと二重構造という点。私たちは二重構造になっていて、第四図の世界の外に存在するということによって、怒りや貪りを乗り越えていけるのである。

第四図をリアルだと思っていたことを終わらせ、第五図の本質を分かったうえで、第六図として生きる。世界がもう一度違う意味のものとして我々の前に現れる。それを生きるのが「菩薩」である。

 

光は第四図の中には存在しない。第四図を抜けるには第五図が本質だと気づけばいい。そこにあるのは光だけ。第五図にしか光のマインドフルネスは存在しない。

 

 

法話を拝聴し、今までどれだけの不幸な映画を作り、自分自身を苦しめてきたかという事が思い出されます。そして私の映画の中に出演していた人物は、実際の人物と名前は同じだとしても全く違う人物として自分自身が勝手に作り上げ苦しんでいたのだとはっきりと分かります。

 

自分を苦しめていたのは、他人ではなく他でもない自分自身だったというこのトリックに気がついた時、ハッと目が覚めて、今まで夢を見ていた、映画の世界を生きていたのだと分かりました。

 

恨むことも怒りも不安も実は映画をリアルだと思っているから起こる、そして怒りや不安の結果として、体の痛みが残る、病はネガティブな気から起こる、本当にその通りだと思いました。まずは自分の本質を知り映画を抜けて、そして身体に残っている痛みのケアをしていくというプロセスは大切だと感じました。

 

「光の中のマインドフルネス」を読んで第四図の映画から抜けて苦しみから救われる方がたくさん増えますように。たとえ第四図に引き戻されたとしても諦めず、光の存在を信じて敗者復活して下さることを願っています。

 

 

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| 13:43 | comments(0) | - | pookmark |
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