17/10/08 第五図に対する「認知的不協和」を越えて | 山下良道師法話まとめ

17/10/08 第五図に対する「認知的不協和」を越えて

17/10/08 第五図に対する「認知的不協和」を越えて

http://www.onedhamma.com/?p=6374

 

法話拝聴いたしました。

今回は「認知的不協和」という言葉を用いて、なぜ第五図の世界観を拒否してしまうのかを解説してくださいました。

 

認知的不協和とは
人は情報を取得する際、築き続けた信念に合致しないものは選択しない。
信念を崩そうとすると、膨大な時間を浪費したことが認識され、多大なストレスがかかる。

人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感。

 

「世界とはこういうものだ」と思いこんでいるのとは違う在り方が出てきた時に認めることが出来ない。

これまでの自分を正当化するために、現在目の前にあるリアルから目をそらし、ゆがんで認識したうえで正当化する。

いままで築き続けてきた世界観、信念とぶつかるかるものは、最初から存在すら認めない。見たい現実しか見ていないのである。

 

大井先生との対談は「死んだら終わりの世界観を超えて」というテーマであった。大井先生自身が「看取り」を通して、「死んだら終わりではない世界」に触れていたのは間違いない。その大井先生の経験に基づく話を、一法庵の第四図・第五図の世界観をつなげる対談となった。

 

「死んだら終わり」という世界観(第四図)を乗り越えるのは第五図しかない。グリーフケアが絶対に必要だということは、第四図しか存在しないと深く思い込んでいるということである。第四図では悲しみを減らしていくことは出来ても、無くなることはない。しかし、第五図には、悲しみそのもがもう存在しない。

 

愛する人が亡くなったとき、形が消えて、形なき何かが現れて、愛するひとの本当の本質が見えてくる。悲劇の中に聖なるものを感じる。愛する人は肉体を失っただけで、死んでなどいない、とわかる。そのことがわかることが、本当の意味でのグリーフケア。

これは、愛する人を失って、打ちのめされて初めて分かること。話を聞いてもらったり、同じような境遇の人たちと話し合ったりしたところで、やはり愛する人を失った悲しみは無くならない、と。第五図が分かれば、本当の意味で「グリーフ」を「ケア」出来るのである。

 

第四図の「脳が記憶などを司り、この部分がこういう働きをして・・・」という脳科学の話と、私の本質は外(第五図)にある、という事は矛盾しない。別のことを取り扱っているから。第五図の世界観が理解できれば、仏典が理路整然と理解でき、般若心経も唯識も、正法眼蔵も分かるのである。

 

第五図を知れば、「生と死の問題」を乗り越えることが出来る。第四図では、体を感じる事ができなかったが、第五図の私は体に戻り、微細な感覚を感じることが出来る。「第五図の私」を理解をすることで、慈悲やマインドフルネスを理解することが出来る。

認知的不協和によって、たとえ今までしていたことが間違いだと気がついても、今までかけた時間を無駄にしないために間違ったことをやり続けてしまう。「認知的不協和」と「エゴの問題」、この2点によって瞑想もつまずいてしまうので、この2点を乗り越えていくことが重要である。

 

恥ずかしながら、私自身も随分と間違えてきた人生でした。自分の間違いに気づき、手放すとき、どれだけの時間とエネルギーを使って来たことかと落ち込んだ事が何度となくあります。そんな失敗を繰り返しながら、幸運にも一法庵にたどり着いて、真実を知ることができ、本当に幸せです。自分の間違いを素直に認め、間違ったことに執着せず、修正していくことで良い方向へ進むことが出来るのだと感じました。


「認知的不協和」と「エゴ」という、つまずく点、乗り越えるべき点をはっきりと示して下さいました。これからも迷うことなく探求を続けていける喜びを感じ、ワクワクしています」

| 23:39 | comments(0) | - | pookmark |
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